一般財団法人 糧食研究会
The Food Science Institute Foundation
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糧食研究会の歴史
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IV.活動休眠
混乱の中、活動を休眠
昭和12年(1937年)、鈴木梅太郎は大陸科学院の院長となり本会との縁が切れることになった。

昭和16年(1941年)太平洋戦争勃発を境として活動は中断。当時の研究の指導者であった東大教授佐々木林治郎は軍部専属研究者となり、海軍の潜行艇用食及び空軍の航空食について研究開発を行うとともに、「パトローゲン」の戦時版としての「パイゲン」の開発で明治乳業を指導していた。

昭和20年(1945年)終戦の年を迎えたが、この頃の国民生活は生きていくのが精一杯という状況で、本会の研究所を訪れる人もいなかった。日本農業研究所から本会研究所の買い取りの話が出てきたので、土地、建物を譲渡し、什器、書籍をまとめ、佐々木林治郎の疎開した盛岡高等農林学校に疎開した。

休眠期に入った本会は、終戦後今後の食糧問題、特に乳幼児の栄養問題について論議を重ね、小出義男、小村清など明治乳業(株)の首脳部の理解に基づき、医学界の小児科部門から栗山重信(東大教授)、斉藤文雄(母子愛育会院長)、森重静夫(駒込病院長)の3博士を迎え、指導と助言を仰ぐことになった。


会の主要な出来事
国内外の出来事
昭和12年(1937年)
7/6 役員会、評議員会(日本工業倶楽部)を開催、専務理事鈴木梅太郎が満洲國大陸科学院長に就任の為辞任したので、後任に東大教授・農学博士麻生慶次郎を推薦
12/30 明治製糖(株)との研究所賃貸契約を解約し、東京市杉並区下高井戸に研究を移転
昭和12年(1937年)
日中戦争勃発
昭和13年(1938年)
1/21 本会主催にて「事変下の糧食問題を語る座談会」を東京ステーションホテルに開く。陸軍省、農林省、東大、東京高農、日本労働科学研究所、日清製粉、清月堂の関係者出席
 
昭和14年(1939年)
1/17 本会事務所を日本橋東京建物ビル内より、東京市杉並区下高井戸4丁目1051番地に移転
4/23 上記にて研究所の開所式
京橋区築地の錦水にて本会創立満20年祝賀宴を挙行
10 前専務理事鈴木梅太郎本会の研究所を来訪
昭和14年(1939年)
第二次世界大戦。米穀配給統制法公布
 
昭和15年(1940年)
米・味噌・砂糖などに切符制実施
昭和16年(1941年)
3/24 機関誌「糧食研究」第176号発行したるも、以後廃刊
事務所だけを東京都中央区京橋2丁目8番地の明治製菓(株)ビルディング内の明治乳業(株)内に移転
昭和16年(1941年)
東京・大阪で米の通帳配給制実施
昭和17年〜29年(1942年〜1954年)
この間の資料はほとんど無い
昭和17年(1942年)
食糧管理法公布
昭和19年(1944年)
決戦非常措置要綱により高級料理店の営業停止。国民学校の給食はパン食のみとなる
昭和20年(1945年)
  訪れる人もなくなった本会研究所を日本農業研究所に売却し、什器、書籍を貨車4台に積んで佐々木林治郎研究室の疎開した盛岡高等農林学校へ送った
昭和20年(1945年)
原爆投下、終戦。闇市が全盛
 
昭和21年(1946年)
食糧メーデー。第一・二次農地改革
昭和22年(1947年)
日本国憲法施行。食品衛生法制定
昭和25年(1950年)
朝鮮戦争勃発、特需ブーム
昭和28年(1953年)
奄美諸島返還。東京青山に日本初のスーパーマーケット紀ノ国屋が開店
昭和29年(1954年)
米ビキニ環礁で水爆実験
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